幸せの翼
幸せの翼
ひとは幸せに生きたいだけ。
再び モンゴルの厳冬期
ウランバートルの大気汚染の原因は?
ウランバートルの大気汚染は世界の最高数値を遥かに上回り、最悪な状況になっている。原因は市民が暖を取るための薪をくべるためと、火力発電者が石炭を燃やすため。自動車が撒き散らす排気ガスのせいではないのが皮肉だ。
部屋で薪をくべないと生きてゆけないほど冬は厳しい。湯を熱管を通して市内のアパートの暖房に使っているが、それではとても冬は越せないほど冷え込んでいた。通常より30度も低い。部屋のなかでも0度に近い。マンホールでは通常の冬なら摂氏10度はある。それがマイナス10度に下がったら?
こどもたちは死んでしまう。ダルハンだけで春になると多いときには20人の遺体がみつかった。ウランバートルや周辺都市を加えると50人に達したのだ。今は日本や海外のNGOの支援でシェルターが開設されているが、猛烈な寒波はいつ襲ってくるかはわから
それで日本のモンゴルでの風力発電で失敗できないわけがわかる。
モンゴルの冬は厳しい。これまでは零下30度ぐらいだったか、1999年あたりから猛烈な寒波に襲われはじめ、5-10年のサイクルでマイナス60度という生命が死に絶えるほどの強烈な寒さに襲われている。
主に羊の放牧をにていたひとは国民250万人のうちの3分の1程度。
羊が40頭あれば人間がひとり生きて行ける計算。羊毛を刈り、乳をしぼり、肉をたべ、フンを燃料にしてお茶を飲む。
その羊が全滅すると、人間はもう生きるすべがなくなる。
彼らはゲルを捨て、首都のウランバートルか、第2の都市ダルハンをめざす。街には暖かいところに、残飯がある。
こどもを連れた父親は、にっちもさっちも行かなくなり、かわいい盛りの息子に言い聞かせる。
「ここならお前は生きて行ける。お前だけでも行きぬいてくれ」。そういって父親は涙を流しながら息子を抱きしめた。
こどもは父親が肩を震わせながら歩み去る後姿を追い続けた。
「父さんに街に捨ててくれたことを感謝しています。ぼくは生き抜くことができました」。
父親の消息はわからない。ただ、牧場はやっていけるはずはないので、都会で仕事をさがしたはず。だが、ソ連邦の崩壊で国民の失業率は65%に達するなか、職を得ることは不可能。
ソ連からモンゴルは70%もの収入を得ていた。それは毎年、ソ連から国家予算を助成されていたもので、公務員の給与はそれで支給されていた。国が根幹から崩壊するような決定的な打撃(これが第一撃)、そこにこれまで考えてもいなかった恐ろしいほどの寒波に見舞われた(これが第2撃)。
通常はひとは2撃で死ぬ。弱い立場にあるこどもたちが最初の犠牲者になった。熱源が小さく、生きる技術のないこどもはマンホールに逃れた。首都やダルハンなどのマンホールに住み着いたこどもは2000人を数えた。
たとえ生き別れても素朴でまじめに働く親のそばで育てられたこどもは素直で、親を思う気持ちはひと一倍強い。
10才に満たない少女は言う。
「大きくなったら、お父さんとお母さんを見つけ、一緒に暮らしたい。だから早く大きくなりたい」と。
孤児院にあずけられても、親を恨むことなくまっすぐに育つ。生きようとする姿はいまの日本人が失った「大切」な何かを教えてくれる。
去年の惨劇ソド
モンゴルで壊滅的な冬の災害状態「ゾド」により数十万頭の動物たちが餓死、あるいは凍死している